
ヒマラヤで植物ハンティングするイギリス人の植物学者
ボタニカル・アートとは
植物を、植物的な正確さをもって描いたものをボタニカル・アート (植物画)と呼んでいる。
すなわちこれは、科学と芸術の幸福な出会いが生んだ「花の肖像画」であるともいうことができる。
ボタニカル・アートは、現代のような写真技術のない時代に、おそらくは薬草を区別する必要から植物を正確に描くことに端を発した。
そして 科学の発展とともに植物学の裏付けで描画もより正確になり、手法にすぐれた専門の画家たちも登場するようになる。
また、一方で、木版、銅版、石版など印刷技術の進歩に伴い大きな変化をとげてきた。

ボタニカルアートを描く婦人達
木版図譜から銅版、石版図譜へ
古代からボタニカル・アートと呼べる絵は存在したが、16世紀に木版による製版技術が確立されて以降、薬用植物の図を載せた「本草書/ハーバル」の出版も本格的になり、数々の名著が世に送り出された。
さらに17世紀に入ると銅版の技術が木版に取って代わる。
1613年にドイツで刊行されたバジル・ベスラー『アイヒシュテットの園』は、彫刻銅版画/エングレーヴィングの記念碑的大著である。
本来は、無彩色で出版されたが、後に所有者によって競って彩色された。
ほとんどは、銅板に直接ビュランで彫った凹版画(版に液状インクを詰め込み、凹刻した部分のみを拭き残して、エッチングプレスによる圧力で凹部のインクを刷り取る方法)に天然顔料で若い絵付け工員による流れ作業で手彩色された後、本として刊行されました。
イギリスでは、ソーントンが私財をなげうって、植物を画期的に体系づけたリンネの分析学を図解した、史上最美を謳われる『フローラの神殿』(1799年-1807年)が誕生した。
この図譜は優秀な植物画家を総動員して描かれたうえ、多数の彫版師によって当時考えうる限りの様々な印刷技術(エングレーヴィング、アクアチント、メゾチントなど)を用いて刷られているため「同じものは2冊ない」とまでいわれている。
1787年には、ウィリアム・カーティスによりイギリスで刊行された『ボタニカル・マガジン』は、植物雑誌の中で最も古く、しかも現在も続くもので、園芸家を対象に華やかな異国植物などの紹介と栽培法が記載された。当時第一級の植物画家が原画を担当し、銅版のちに石版で刷られ手彩色された。
19世紀前半のフランスには「花のラファエロ」と称される最も有名なピエール=ジョゼフ・ルドゥーテが登場し、ナポレオン妃ジョゼフィーヌの庇護の元にマルメゾン庭園の植物を点刻彫版技法/スティップル・エングレーヴィング技法で美しく描き、フランスの貴婦人たちを魅了した。
『バラ図譜』(1817年-1824年)、『ユリ図譜』(1802年-1816年)などの名作を世に出し、その人気が特定の植物だけを載せた図譜を流行させるきっかけとなった。
クロモリトグラフとは
多色石版画。
カラーリトグラフでリトグラフの多色摺り。
1798年ドイツ人ゼネフェルダーが単色石版術を発明してから、最初の着色石版にトライしたのはイギリス人、ハルマンデルの「リトチント」であった。
本格的な「クロモリトグラフィ」を開発したのは、1816年フランス人のエンゲルマンとラステイリーである。
多色原画を簡単に複製できるクロモリトグラフィは、たちまち商業や工業など実用印刷物に多く利用され1850年代初期には、従来の手書きのリトに代わり、写真製版によるカラーリトが開発されるに至った。
木版とは・・・ 板目木版 (木を縦に挽いた板に凸部分を作った物)
木口木版 (木を横に輪切りにした板に凸部分を刻んで作った物)
銅版とは・・・・ ドライポイント (銅板に直接 鉄筆(ニードル)で彫った物)
エングレーヴィング (銅板に直接ビュランで彫った物)
メゾチント ロッカー(ベルソー)で銅板の表面全体に細かい傷を付け、磨いたり削ったりした物
エッチング 防蝕剤を塗った銅板(亜鉛板)の表面に鉄筆(ニードル)で描き、
描いた部分を酸などで腐蝕した物
アクアチント 松脂の粉末などの防蝕剤を散布し、酸などで腐蝕した物
石版画とは・・・
リトグラフ 研磨したアルミ板、石板、ジンク板、ベニヤ板などに油性の描画材で描き、
水で湿らせながら油性部分にのみインクがのるように製版する方法
オフセット アルミ板などに製版したイメージを、一度ゴム版面(ブランケット)に転写し、
再び紙などに転写する方法



イギリス、ドイツ1800年代の銅版画製造所の様子

銅版から紙を剥がす作業