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各図譜と博物学稀覯本の詳細


索引




『ボタニスツ・レポジトリー』ヘンリー・アンドルーズ
1797年-1814年ロンドン刊行
全10巻 銅版画手彩色664図クオートサイズ

『ヘザリー』ヘンリー・アンドルーズ
1794年ロンドン刊行
全6巻オクタヴォサイズ銅版画手彩色300図

 



『野草』『美花選』クラリサ・M・バジャー1859年 ニューヨーク、ロンドン刊行 Mrs. Clarissa W. Munger Badger "Wild Flowers" and "Floral Belles" クラリサ(1806年〜1889年)と姉妹のキャロラインは、ともにアメリカ人画家。キャロラインは、象牙に細密画を描くプロとして当時人気があった。一方、クラリサの才能は、植物と花のみを描くことに集中した。1828年ミルトン・バジャー神父と結婚。結婚後は、マサチューセッツ州アンドーヴァー、ニューヨーク市、コネチカット州マディソン郡と夫の転勤にともない移り住んだ。1859年にこの「野草」("Wild Flowers") を刊行。 その後の重要な仕事に「美花選」("Floral Belles" 1867年、ニューヨーク刊行)があります。これは、米国の野草について描かれた代表作といわれている。ニューヨークのチャールズ・スクリブナー社出版で大型フォリオサイズのリトグラフに繊細な手彩色が施されている。「美花選」は、たいへんな人気でしばしば贋作されたほど。両名の生涯についての詳細は、全く不詳ですが彼らの名前は、この美しい花々を通じて語り継がれています。 当時の刊行数も少なく現存数も非常に少ない貴重な図です。 石版画手彩色 大判サイズですが水彩画の様な素朴な色あいですのでどのようなお部屋にも合います。


『フローレ・デ・ジャーディニエール』パンクラス・ベッサ
1836年パリ刊行
全4巻 点描銅版画手彩色(スティップル・エングレーヴィング)389図 クオートサイズ

『愛好家のための植物画集』パンクラース・ベッサ1836年 Pancrace Bessa "Flore des Jardiniers, Amateurs et Manufacturiers" フランスの植物画家。ファン・スペンドンクの弟子であり後にP=J・ルドゥーテに師事した。のちにP=J・ルドゥーテとともに多数の共同制作をした才能ある絵師。 又、センチメンタルな花の詩画集の挿絵師として名を売った。べッサはヴェンテナ"Choix de Plantes" (1803年)、ボンブラン「マルメゾン及びナヴァールの稀少栽培植物図譜」(1813年)、ラウネー"Herbier General de l'Amateur" (1820年)、等の挿絵画家でもある。「愛好家のための植物画集」は彼の最後の仕事となった。 多色刷点刻銅版(手彩色補助)、スティップル・エングレーヴィング(点刻彫版) 普通の銅版画が線刻によるのに対し、点描による方法。ビュラン(一種の彫刻刀)の先でつついて無数の刻点を作り、点描の密度によって明暗を出す。微妙なぼかしの表現に優れる。ルドゥーテの植物図譜はこの技法を用いた代表的なもの。



フリードリッヒ・ユスティン・ベルトゥッヒ

フリードリッヒ・ユスティン・ベルトゥッヒ(1747年〜1822年) ベルトゥッヒは、1747年にドイツのワイマールに生まれました。ワイマール・ギムナジウムで神学の勉強に、イエナ大学で法律を学びましたが、彼の主な関心は文学と博物学でした。その後、スペイン文学、英文学および仏文学をドイツ語に翻訳する仕事を始めました。1785年には、文学に関しての新聞の刊行を始め、1786年には、ヨーロッパで最初の挿絵(図譜)の雑誌の刊行を始めました。 ベルトゥッヒは、「ビルデルバック・フル・キンデル」(子供達のための絵本」でたいへん有名です。他に児童向けに1000点以上にも及ぶ手彩色銅版画図譜を含む図鑑を刊行しました。ドイツ語、フランス語、英語とスペイン語でも刊行されたこの図鑑は、1790年〜1830年の間に全12巻にも及びました。


ブラックウェル 『キューリアス・ハーバル』エリザベス・ブラックウェル
1737年ロンドン刊行全2巻 銅版画手彩色500図、フォリオサイズ

「キューリアス・ハーバル」は最初に1737年にイギリスで出版され、その後「ハーバリウム・ブラックウェリアナム」の題名で1750年からドイツで出版されました。


『新自然科学辞典』ピーター・ブラウン1776年ロンドン刊行 ピーター・ブラウン(1758年-1799年) は、デンマーク人の博物画家です。ロンドンで活躍していました。代表作は、『新自然科学辞典 -New Illustrations of Zoology』 (1776年ロンドン刊行)です。 自然科学者、トーマス・ペナント、ジョセフ・バンクスとともに刊行しました。ブラウンは、特に植物、鳥類、昆虫類を得意としました。


ピェール=ジョゼフ・ビュショー
(1731〜1807年)メッツに生まれ、法律家志望から医学へと転向した。
28歳でポーランド王スタニスラフの待医に任命された。しかし本の刊行を目的に官職を捨てた。その後、種々雑多な出版物多数を刊行した。研究者というよりも財力のある出版者として植物学に関する図鑑、鉱物学、農業、鳥類学、医学、婦人向けの化粧用植物誌など何百種の刊行をしました。 しかし著書内容は他人の著書から取ったものであり記述は不正確と言われた。売れない大衆向けの著書の刊行で金銭的 な行き詰まり、妻の死とフランス革命勃発で孤独と極貧に追いやられた。その後、亡き妻の友人であり彩色図譜制作を手伝う婦人との結婚で窮地から脱出することになる。晩年は、彼を認めない社会に対し痛烈な批判を書き綴り学界からは相手にもされず失意のうちに人生を終えた。 著書には、『植物図譜』1774-1780年パリ刊行( Buchoz "Histoire Universelle du Regne Vegetal")、『世界名花図集』1785年、『中国薬用植物図説』1781年などがあり、これらの著書の中には、中国の画家が描いた中国の植物の絵が初めて登場した。 



『ブリティッシュ・フェノゲマス・ボタニー』ウィリアム・バックスター ウィリアム・バックスター(1788年-1871年)は1813年から1854年まで、英国オックスフォード・ボタニック・ガーデンでキューレター(学術員)を務めた。 その間には、同所に図書館を開設した。著書には、「ブリティッシュ・フェノゲマス・ボタニー」(1834年-1843年刊行、509図の図譜を含む)がある。各葉の細密な図と詳細な記録と情報は、 植物学に多大な影響を与えた。 こちらでご紹介するバックスターの図譜は、すべて1834年に刊行された第2出版、「ブリティッシュ・フェノゲマス・ボタニー」 のものです。有名な植物画家アイザック・ラッセル氏、C.マシューズ氏、G. ハレル氏、W.デラモット氏、ソーンダーズ女史、イザベル・クラーク女史などの絵による。 手彩色はバックスターの実の娘達によるものです。銅版画はW.ウィリス氏の作製です。


ベスラー『アイヒシュタットの庭』 バジル・ベスラー
1613年-29年ドイツ刊行 367図
バジル・ベスラー1607年-1661年  ドイツ、ニュールンベルグの薬学者、植物栽培家。ヨーロッパ最初の本格的彩色図鑑を刊行した。その図版は古典的で素朴な魅力がある。この図譜は、17世紀初めに南ドイツにあった司教所有の植物園(アイヒシュテットの庭園)の彩色カタログの第三版。この植物園では渡来植物を盛んに栽培していたが、その後の三十年戦争により庭園は全滅した。



『ツバキ属図譜』 アヴェ・ローラン・ベルレーズ 1841年 - 1843年 イタリア人植物学者アヴェ・ローラン・ベルレーズ(本名ロレンツォ・ベルレーズ 1784年-1863年)は、私的財産を投じパリに専門の温室をつくりツバキ研究を始めた。パリで刊行されたこの美しい図譜は、ツバキ研究書では群を抜いて代表作といわれている。スティップル・エングレーヴィング技法(彩色点刻銅版画)によりつくられた彩色図は、「バラ」のルドューテ、「ツバキ」のベルレーズに象徴される。 ファリオ版(縦40?×横25?)約300点の画家は、J.J.ユングによる。約300種のツバキを紹介している。彩色にこだわり、すべての色に名前をつけて各本のカラーチャートを添付した。当時のツバキは、貴族達に愛され社交の道具として使われた。この図譜の刊行で一躍有名となったバルレーズは、この仕事を最後に突然、莫大なツバキコレクションをパリの商用園芸施設に売却し1826年に謎を残したまま故郷のイタリアに帰国した。



『フランス植物誌』 ピエール・ビュイアール 1780年〜95年 多色重ね刷銅版(エングレーヴィング)手彩色
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『ナイル川の源流を発見するため旅の紀行』ジェームズ・ブルース
James Bruce "Travels to Discover the Source of the Nile, in the Years 1768, 1769, 1770, 1771, 1772 & 1773" エディンバラ、ロンドン ロビンソン社刊行 (1790年刊行) ジェームズ・ブルース(1730年-1794年)は、スコットランドの冒険家兼作家でした。北アフリカ地域を12年以上旅行して過ごしました。アビシニア人(現代のエチオピア人)の社会で容認された数少ない白人で、特に身長の高い(190cm)ことで、深く印象に残った。ゲーズ語、アラビア語など11か国語を話しました。 パースシャーのキナードで生まれ、ハロー学校とエディンバラ大学で教育を受けました。24歳で、ワイン商人の娘と結婚しました。しかし、9ヶ月後の彼女の急死の後、絶望にあったブルースは、ポルトガルとスペインを旅するためにスコットランドを去りました。エスクリアルでは、古代中東の記述を発見し、今後の自分の仕事を見出しました。 1762年には、アルジェで英国の領事に指定された後、1765年には、北アフリカおよび中近東に旅立ちました。1768年には、アレキサンドリアに到着し、ブルーナイルの源流を捜索のために出発しました。エチオピアに到着した彼は、ラス・ミかエル王とオゾロ女王の招待を受け2年間そこにとどまりました。1770年には、タナ湖(ブルーナイルの源)に到着しました。また、1771年には、ヌビアのホワイトナイルを連結する場所までブルーナイルを辿りました。 北アフリカでの約10年後の1774年に最終的に英国へ戻ったのですが、当時のロンドンでは、誰もが彼の紀行を信じないことを知りました。友達に励まされ、1790年に、この書記を公表する旅に回りました。しかし、再び、ブルースは嘲られ、嘘つきでほら吹き呼ばわりされました。それには、彼の高飛車で高慢な態度にも原因があったようです。しかし今日、エチオピアの地で彼の記述の多くの正確さは認識されました。

 



Bernard-Germain- Lacépède
(1756年?1825年)
フランス人博物学者 王立植物園に勤務しビュフォンの死後、『一般と個別の博物誌』の中の両生類、爬虫類部門を追加した


ニコラス・カルペッパー

『英国の医学 - イングリッシュ・フィジシャン』
ニコラス・カルペッパー
1792年ロンドン再出版
銅版画手彩色400図、クォートーサイズ
初版は、1652年にエヴェンザー・シブリー博士のバーブを掲載して刊行された。その後、イギリスの薬草学者ニコラス・カルペッパーのハーブと改題されて刊行された原本です。この本は、カルペッパー氏のバーバル数百点のハーブとジョン・ヒル博士のバーバルも加え1792年にジョシュア・ハミルトン氏の編集で全2巻刊行した非常に珍しい1冊です。この図版は、出所不明の1700年代のハーバルの銅版を用いてこの本の刊行時に図譜として採用されたものです。 ニコラス・カルペッパー博士(1616年-1654年)はイギリスの薬草学者でした。この時代、他にジョン・パーキンソン、ジョン・ジェラールなどが有名です。カルペッパーは、当時ラテン語やギリシャ語で書かれていた医学書や薬学書を英語に翻訳し、当時の医師会の使っていた薬局方を別名で出版しました。そのため、医学会から非難され、様々な悪評が飛び交いました。しかし、このようにして彼は多くの本を世に送り出し、医学の知識の無い人達にも植物療法の知識を与えました。


ウィリアム・カーティス



『ボタニカル・マガジン』ウィリアム・カーティス
1790年から現在まで刊行中
William Curtis (1746-99年) イギリスの園芸家・出版者。薬種業の孫として生まれる。薬草への関心から植物学を学ぶ。薬剤師や大学の植物学教室の助手などをしたのちブロンプトン大学に大植物園を開設する。1777年にロンドン産の植物図譜「ロンドン植物誌」を刊行した。しかし、当時のイギリス人はガーデニングに夢中になっており地元の野草への興味はく失敗に終った。 次に園芸家向けに、外国のエキゾティックな花々を集めた「ボタニカル・マガジン」を1787年から刊行した。死後も息子のサムエルが「ボタニカル・マガジン」を続行した。のちにキュー・ガーデンの正式な機関誌になり、今なお「キュー・マガジン」と改題のうえ続刊されつづける世界最古の植物学雑誌です。カーティスの弟子にはジェームス・サワビー、シデナム・エドワーズ、ウィリアム・キルバーンがおります。 独立しサワビーは1794年に「イングリッシュ・ボタニー」を出版し、エドワーズは1815年に「ボタニカル・レジスター」を刊行しました。


『フローレ・メディカレ - 薬用植物図譜』
ショメトン、ポワレ、シャンベレ編
1814年-20年 パリ刊行 全7巻
点描銅版画手彩色(スティップル・エングレーヴィング)
425図オクタヴォサイズ
フランソワ・ピエール・ショメトン、ジョン・ルイ・マリ・ポワレとジョン・バプティスト・シャンベレは「フローレ・メディカレ」(植物図鑑)を1814年にパリで出版しました。425図の植物図譜を7冊で紹介し、古典の「ハーバル」のような薬用植物図鑑です。ハーブ、スパイス、毒物(解毒剤)、果物(バナナなどヨーロッパ以外からの果物)、野菜などの食用薬としての利用法が、ギリシャ時代から続くヨーロッパの中世紀の歴史とともに分かります。画家は、ピエール・ジャン・フランソワー・テュルパン(1775年-1840年)氏と出版者の妻で、ジェラー・ヴァン・スペンドンクとレドゥテの弟子である、アン・エリザベス・パンクック夫人。スティップル、描銅版画はランベール氏の作成です。 画家ピエール J. F. テュルパン氏(1775年-1840年)は、フランスの小さな村ヴィル(Vire)で貧しい家に生まれました。14歳で軍隊(Batallion du Calvados)に入り後に、カリブ海の島セント・ドミンゴに送られます。そこで、当時めずらしい植物を集めた植物図鑑(ジャーダン・デ・プラン)を描きに来ていたフランスの植物学者であり植物画家のピエール・ポワトー氏に出会い友人となった。後に二人で画家活動を始めます。彼の絵は、ナポレオンの妻ジョセフィーンに好まれた有名な画家ルドゥーテテにも多大な影響を与えました



『薬用植物誌』チャーチル&スティーブンソンロンドン1834年-36年刊行
ジョン・スティーブンソン(1790年-1864年)とジェームズ・モルス・チャーチル(1863年死亡)は、1831年にこの包括的な植物誌を記述しました。そこには「イギリス固有の有毒野菜の一般的で科学的な解説を含む、ロンドン、エディンバラおよびダブリンにおける植物調剤薬の医療の実例および記述」と副題がついています。第二版は1834 年〜1836年の間にロンドンで刊行され、ギルバート・トーマス・バーネット(1800年-1835年)によって編集されました。この本の編集に加えて、バーネットは同時に『植物学の要綱』(1835年)を刊行し、又、チェルシー植物園で植物薬剤について30コースの講義を行っていました。彼は、35歳の時に、文学・専門分野での仕事に疲れ切り、 講義を完成した後にすぐに亡くなりました。最も有名な仕事は、4巻の『有用な植物の実例』(実姉妹であるM.A.バーネットによる図譜作成)は、1840年に彼の死後に公表されました。彼について残された情報は、非常に少なく、この『薬用植物誌』についても非常に希少性の高い書のひとつです。 19世紀におけるこの貴重な植物誌は、185種の植物とそれらの生息環境、医薬的特性および医療や他の使用に関して説明しています。そしていくつかの特別の病状についての正確な処置法が記載されています。 手彩色されたエングレーヴィング図譜は、ウイリアム・クラーク(有名な園芸界で活躍した高度の技術とともに賞賛され尊重された芸術家で彫刻師でレベッカ・ヘイの『花の倫理』に花の図譜を供給しました)。その他の図譜は、C・M・カーティス、G・リード、G・スプラットおよびウェデルによって作製されました。その中の1点にウェデルによる図譜は、(No.87、クリスマスローズ)有名なオーストリアの植物画家ファーディナンド・バゥアー(1760年-1826年)の図面に基づいています。この植物誌は、その図譜の精巧な彫刻技術と手彩色の質の高さと芸術性で有名です。際だって希少な書であり、19世紀の英国の植物誌の中で最も重要性の高いものです。1831年の第一版時1834図の植物図譜を含み、1834年に新たに2図を追加して第二版が刊行されました。



フレデリック・キュヴィエ
『自然科学辞典』1804年-32年パリ刊行 動物学者・古生物学者フレデリック・キュヴィエ(1773年-1838年)は、有名な自然主義者と動物学者ジョルジュ・キュヴィエ(1769年-1832年)の弟。1804年から1838年まで、パリの自然史博物館の動物園の飼育係長でした。1821年に、赤いパンダを発見しました。1835年に、イギリスの王立協会の外国人メンバーとして選出されました。この「自然科学辞典」(1804年-1830年)では、彼は哺乳動物の担当でした。他は、サン・イレールと一緒に「哺乳動物の自然科」(全4巻本、1819年-18421年)、「クジラの自然科」(1836年)にも編集しました。 この Dictionnaire des Sciences Naturelles 「自然科学辞典」は、60の膨大な記述と9巻の図を含み1804年-183010年にパリで出版された。パリの主要学校、博物館の各分野の専門家によって執筆された。著者はフレデリック・キュヴィエ、ジュシウ、サンクロワ、サン・イレール、ブランビル、クロケとブロニアーを含む。1200図の手彩色スティップル銅版画は、ピエール・JF・トゥルパン監修によるもの。 動物画を担当のはジョン・ガブリエル・プレトゥルでした。プレトゥルは、「Histoire Naturelle des plus Beaux Oiseaux de la Zone Torride」 (1805年〜1809年)の挿絵画家でもある。銅版はギヤー、カーノンケル、ナジオ、マサー夫人などが担当。

 



『フロリレギウム・ノヴム』ヨハン・デブリー
1612年-18年ドイツ刊行



『イギリスの鳥類』1820年ロンドン刊行 エドワード・ドノバン(1768年-1837年)は、19世紀前半で最も生産力のあるアマチュアの博物学者のうちの1人です。 いくつかの多重版シリーズ図鑑では、彼は自分の所有する博物館からの標本に基づき、鳥類、イギリス諸島の魚類、昆虫類および軟体動物類について記述し例証しました。彼の図譜は、素晴らしく緻密で色彩豊富な顔料による手彩色で有名です。


『園芸家と園芸愛好家のためのバラ類』エドワード・ドノー 1874年パリ刊行 クロモリトグラフ(多色石版画)手彩色補助 この非常に希少な図譜は、1874年にパリで公表され、バラの歴史および耕作技術について重要な議論に加えて、バラの日常について「園芸家&アマチュアの庭師」による包括的な調査がされています。その目的は、立派でよく例証された、バラの決定的な生産することの研究でした。当時のフランスで良く知られた植物画家である、モーベール、アニカ・ブリコーン、ブランシャール、ファゲー、ルパレイおよびグラボースキーらが担当しました。 その版画は優れた状態で、バラの絶頂期をとらえた確かに素晴らしい記録です。 ページ全面を満たした薔薇は、はっとするような芸術性で線と色で表現されています。世紀を超えたて生きづく図譜は、バラ栽培者や植物図譜愛好者の羨望の的です。 多少の紙の退色のみで退色は、ほとんど見られません。


サラ・アン・ドレーク女史(1803年-1857年)
ドレークは、1803年7月24日ノーフォークのスケイトンの村で農夫のジョン・ドレークと妻サラ、の娘として生まれました。若くしてドレークは、女性の活躍の場である絵画の勉強をしました。1830年に、ジョン・リンドリーは、ロンドン大学初の植物学教授としての就任や、英国王立園芸協会のアシスタントや、『ボタニカル・レジスター』、『夫人のための植物学』、又、蘭のための数々の書物の編集、刊行等で多忙を極め、自らの才能ある植物画家としての活躍が不可能となりました。そこでリンドリーは、妻の友人であったドレーク嬢をアクトン・グリーンの彼の家の呼び寄せ家族と同居することを依頼しました。 サラは、すぐにリンドリーの住み込みアシスタント兼の3人の子供達への家庭教師になりました。1831年から1847年までの約15年間芸術家として活動的しました。その間の植物画家としての活躍は、非常に才能ある最高レベルの評価を得ました。彼女は、およそ1,300種の新種の植物(350種の蘭を含む)を描き、それらのうちの60図を版画にしました。リンドリーは、彼女の仕事の貢献への返礼として、新種の蘭を彼女の名に因みドラケアと命名しました。 『ボタニカル・レジスター』が1847年に刊行を終了した同時期に彼女も仕事を終えました。その後、老いたおじダニエル・ドレークと彼の妻と一緒に住むために、故郷のノーフォークへ戻りました。1852年には、地元の農夫ジョン・ヘースティングズと結婚しました。この結婚は、54歳で1857年に「糖尿病」による彼女の不時の死まで5年間だけ続きました。サラは、ロンハムの聖アンドリュー教会の墓地に埋葬されました。
 



『レ・ローズ』ジョージ・ディオニス・エレット
1760年ドイツ刊行
点描銅版画手彩色(スティップル・エングレーヴィング)
168図 フォリオサイズ
ジョージ・ディオニス・エレット (1710年-70年)

『ボタニカル・レジスター』シデナム・エドワーズ
1815年-28年ロンドン刊行 全14巻 
銅版画手彩色1020図 オクタヴォサイズ
ウィリアム・カーティスの「ボタニカル・マがジン」から離れ、画家シデナム・エドワーズは「ボタニカル・レジスター」を出版しました。



ジョージ・エドワーズ
『珍鳥』ジョージ・エドワーズ 1758年-1764年ロンドン刊行George Edwards (1694年-1773年)は、18世紀のイギリスの自然科学者であり、画家、版画家、彩色家でした。 英国内科医師会の図書館員としての勤務の傍ら、エドワーズは、有名な本を次々に刊行しました。その本は、1743年-1751年ロンドン刊行の「博物学の選集」と1758年-1764年ロンドン刊行の「珍しい鳥の博物学」です。 両方とも多巻本の大図鑑で、250図以上の銅版彫刻図譜で鳥類と同様に動物類、爬虫類、魚類および昆虫類など多くの希少種もふくまれていました。


『薬用植物辞典-フローレ・メデカレ』ショームトン他編(1833年-1835年)パリ刊行 初版は、1814年-20年に刊行され、その後に数版を重ねた名図鑑。初期の版は、349図ですが、後刷りについれて図版数が増し、600図版を収める刊行もある。図版は、19世紀初頭にルドューテと名誉を二分した名植物画家ピエール・J・F・トゥルパン氏と出版者の夫人で、スペンドンクとルドゥテの弟子である、エリザベス・パンクック夫人による。多色点刻銅版(スティップル・エングレーヴィング)は、ランベール氏の作成です。


アンネ・エルネスティーン・パンクック夫人
アンネ・エルネスティーン・デソルモー(1784年-1860年)はフランス王立植物園でP=J・ルドゥーテによる植物学の芸術クラスに出席した。その後、彼女はチャールズ・LF ・パンクック(1780年-1844年)と結婚しました。彼は、パリ刊行の記念すべき偉大な書記「医学の辞書」と「エジプトの記述」の出版しました。アンネ・エルネスティンは、夫の出版物の多くに寄与し、「フローレ・メディカレ」で植物と果物の図譜の中の16図を描きました。

 



『ヌレンバーグ・ヘスペリデス』
ヨハン・フォルカマー
1708年-14年ドイツ刊行 全1巻
銅版画手彩色116図フォリオサイズ

 



オリバー・ゴールドスミス


ケイト・グリーナウェイ
ケイト・グリーナウェイ(1846年-1901年)は、ビクトリア時代中期の児童書を描いた偉大なイラストレーターの一人です。彼女の本は今日でも引き続き人気があります。又、コレクターの間でも依然として収集熱が高まっています。今でも度々連続的に再版されています。また、彼女のイラストは、ティータオルからアドレス帳の類までキャラクター商品として販売されています。 キャサリン”ケイト”グリーナウェイは、彫刻師のジョン・グリーナウェイの次女として北ロンドンのハイブリーで幼少期を過しました。12歳のときに、彼女はファインスブリー美術学校に入り、その後も引き続き様々な大学で近代美術を勉強し続けました。1868年に、22歳で、彼女は自分の作品を個展で発表し始め、又マーカス・ウォード社製品のグリーティングカードのデザインや児童書のイラストを手がけていきました。1884年刊行の「花言葉」は、遠くアメリカにも話題が広がり、半分の部数は、アメリカで販売されました。グリーナウェイの人気はアメリカ中に浸透しました。 1877年に、ウォード社を去り、当時彼女の父親が出版業界のエドモンド・エヴァンス氏と出会った。(彼は、児童書の出版社ルートリッジ社の創立者)エヴァンス氏とグリーナウェイの最初の本「窓の下」(1879年刊行)は大成功しました。1880年には、彼女が「ケイト・グリーナウェイの誕生日の本」を刊行しました。それは、150,000部を売り上げ、フランス語とドイツ語に翻訳されました。その後の10年間で、グリーナウェイは「子供の一日の生活」(1881刊行)、「マリーゴールドの庭:絵とリズム」(1885刊行)のように、児童書の刊行とイラストとで多大な成功を収めました。

 


『フロリカルチュラル・キャビネット』 ジョゼフ・フランソワ・ハリソン 1833年-55年ロンドン刊行 ジョゼフ・フランソワ・ハリソン(1833年-1855年) イギリスの植物雑誌刊行家。イギリス、ヨークシャー、ジェームズ・ワーンクリフ卿のウォートリ・ホールのガーデナーを務めるジョゼフ・ハリソン氏は様々の雑誌を編集した。ハリソンとワーンクリフ卿の妻、カロライン・クレイトン(左には彼女の子供時代の絵)がウォートリ・ホールのガーデンを素晴らしい公園にしました。 1833年-55年にかけて「The Floricultural Cabinet」を刊行、のち「The Gardeners Weekly Magazine」「Gardeners Magazine」と改名された。 著書には、アクアチントによる美しい図版を収めた"The Floricultural Cabinet and Florists' Magazine"「フロリカルチャラル・キャビネット/花卉園芸の小櫃」(1833年-1859年出版、360図の図譜を含む、ウィッタカー出版、ロンドン)の月刊雑誌がある。葉の詳細な記録と情報は、植物学にたいへんに影響を与えた。当時、イギリスの人気花(ダーリア、菊、カーネーション等)は良く描いています。絵はグレー氏、アンドルーズ夫人、ウェークリング氏による、銅版画はパーキン氏、ヘーズ氏、アドラード氏の作成です。 ここで紹介するハリソンのプリントは8册目の「フロリカルチャラル・キャビネッ ト」(1840年)等のものです。当時のイギリスで人気があった花々(ダリア、菊、 カーネーション等)が良く描かれています。絵はグレー氏、アンドルーズ夫人、ウェークリング氏による、銅版画はパーキン氏、ヘーズ氏の作成です。 銅版手彩色。版画はすべて小型の「オクタヴォ」


ジョン・ヒル
ジョン・ヒル(1716年 -1775年)は、用途を持った実用性のある本の作家で特に、リンネの分類システムを英国に紹介したことで最もよく知られています。彼は薬剤師として見習い期間を終えた後に植物学を勉強し始めました。ヒルは、俳優、詩人、小説家、植物学者、庭師および一連の後援者のためのインチキ医師などの多彩な職業を経て、多くの有名なロンドンの作家達との文学上の戦いをしました。 テオフィルス・ヒル神父の息子、ジョン・ヒルは1716年にピーターバラで生まれたと考えられています。若くして薬剤師に弟子入り後、エディンバラの大学で医学の学位を取りました。しばらくの間、ウェストミンスターのセント・マーチン通りに小さな薬局を持っていました。熟練された内科医であり、卓越した植物学者および作家、薬剤師や医者の手から薬を取りあげ、それを一般大衆にもたらしました。園芸術の熟達によって、ヒルは、ロンドンの王立植物園の管理者や他も多くのガーデンを企画しました。さらに、リッチモンド公爵およびペトラ卿の庭ために乾燥植物標本の採集および収集をしました。 1746年〜1753年の間、いくつかのロンドンの植物誌のために執筆、編集し、さらに小説も書き、演劇や、科学的な本の執筆もしました。ヘンリー・フィールディングは、活字で彼を攻撃しました、クリストファー・スマートは、彼を侮辱した叙事詩を書き、ジョン・リッチは、彼の詩を盗作したと主張しました。ジョンソン医師は彼を「精巧なうそつき」と呼んだ。ある作家は、「ヒルほど厚かましくも無知な作家は、知らない」と言いました。同時代の作家フィールディング、芸術家のホーガースおよび俳優ギャリックらよって嘘つきと誹謗中傷されました。 1759年から1775年まで、後援者ビュート卿のために彼は26巻にも及ぶ大鑑の植物学の仕事「野菜の系体」に取り組みました。それは、1,600点ものエングレーヴィングの銅叛図譜を含んでします。この大仕事で、1774年にスウェーデン国王によって主催される賞を授与されて以来、彼自身を「貴下」と呼ぶようになりました。彼の76冊の本の中には、「ハーバリアム・ブリタニカ」(1769年)、「エキゾティック・ボタニー」(1772年)、園芸本の「エデン」(1757年)などがあります。ヒルは、英国学士院に加わろうとしたが、拒絶され、貧困と嘲笑の中で亡くなりました。


『エキゾティック・フローラ』
ウィリアム・フーカー卿
1823年スコットランド刊行全3巻
銅版画手彩色 233図オクタヴォサイズ
『エキゾティック・フローラ』ウィリアム・フーカー卿
スコットランドのグラスゴーで1823年から1827年の間233図の図譜を3冊にして出版された。多くの花の絵本を編集しました。オークションでも滅多にみかけない本ですので、非常に珍しい! 作者は、ウイリアム・ジャックソン・フーカー卿(1780年-1864年)の最初の作品。彼は、画家でもあり編集者でもあります。後に1826年から「ボタニカル・マガジン」の編集者となりました。1841年には、キュー・ガーデンの館長になりました。50年以上にわたりイギリスの植物の研究家として著書も多く出版し、中でも蘭についての研究は有名です。 全ての絵はグラスゴーのJ.スォン氏の銅版画による。原画の制作はウイリアム・ジャックソン・フーカー氏、ジョン・リンドリー氏、A.メンギーズ氏、R.K.グレヴィル氏、F.ギルディング氏、他。子息のジョセフ・ドルトン・フーカーもインド、ヒマラヤ、シッキムを探検して、しゃくなげのブームを起こすなどボタニカル・アートの基礎を作りました。

ウィリアム・フーカー
ウイリアム・ジャックソン・フーカー卿(1785年-1865年)画家であり編集者。『エキゾティック・フローラ』が最初の刊行書。後に1826年から「ボタニカル・マガジン」の編集者となりました。1841年には、英国王立キュー植物園の館長になりました。50年以上にわたりイギリスの植物の研究家として著書も多く出版し、中でも蘭についての研究は有名です。 『エキゾティック・フローラ』の全ての図譜はグラスゴーのJ.スォン氏の銅版画による。原画の制作はウイリアム・ジャックソン・フーカー氏、ジョン・リンドリー氏、A.メンギーズ氏、R.K.グレヴィル氏、F.ギルディング氏、他。子息のジョセフ・ドルトン・フーカーもインド、ヒマラヤ、シッキムを探検して、しゃくなげのブームを起こすなどボタニカル・アートの基礎を作りました。

 






アントワーヌ・ローラン・デ・ジュシュー
『自然科学辞典』アントワーヌ・ローラン・デ・ジュシュー アントワーヌ・ローラン・デ・ジュシュー Antoine-Laurent de Jussieu(1748年-1836年)は、フランス人植物学者で、15年間の研究の後、「ゲネラ・プランタラム」を執筆した。この本は、リンネとともに近代自然分類の基礎となっている。ジュシウは、王立庭園にある豊富な生きた植物研究に留まらす、彼自身の豊富な薬草園にもおよび、又フィリバート・コメルソンのベゲンビルとの世界旅行での収集にまで及んでいる。又、トーマス・クックの初航海をともにしたジョセフ・バンクス卿、リンネ薬草園のジェームス・エドワード・スミスと植物見本の交換も行っていた。 この Dictionnaire des Sciences Naturelles 「自然科学辞典」は、60の膨大な記述と9巻の図を含み1804年-1830年にパリで出版された。パリの主要学校、博物館の各分野の専門家によって執筆された。著者は、ジュシュー、キュヴィエ 、サンクロワ、ブランビル、クロケとブロニアーを含む。1200点の手彩色スティップル銅版画は、ピエール・JF・トゥルパン監修によるもの。植物の500枚の中には、トゥルパン氏の子息によって描かれたものも数点含まれている。彼の名は、絶妙なアマリリスの図に刻まれておりこの天才画家は、1821年に18歳の若さで亡くなった。 画家P. J. F. トゥルパン氏(1775年-1840年)は、フランスの小さな村ヴィル(Vire)で貧しい家に生まれました。14歳で軍隊(Batallion du Calvados) に入り後に、カリブ海の島セント・ドミンゴに送られます。そこで、当時めずらしい植物を集めた王立庭園を描きに来ていたフランスの植物学者であり植物画家のピエール・ポワトー氏に出会い友人となった。後に二人で画家活動を始めます。彼の絵は、ナポレオンの妻ジョセフィーンに好まれた有名な画家レデュテにも多大な影響を与えました。

 

 



ジョン・リンドリー(1799年〜1865年) イギリス、カトン生まれ。王立栽培協会に属し、ロンドン大学植物学の初代教授。後に、ケンブリッジ大学植物学教授となる。1838年には、キュー王立植物園が彼の懇願書によって継続を決定された。英国王立園芸協会の会長を務める。彼の父、ジョージは、自身の培養園で育てた蘭についての著書を執筆。優れた編集者としても知られ、RHSリンドリー図書館にその名を残しています。蘭分類学の父といわれる英国の植物学者、リンドリーは120以上のランに名前を付け、自分の名"Lindleyana" もある。 リンドリーは、教授時代に「ボタニカル・レジスター」等、長年にわたり多くの出版を手がけた。自ら植物画を書き、評価も高い。最初に出版した本 "Rosarum Monographia" (1820年)はリンドリー本人の18枚の手彩色版画を含み、フーカー卿「エキゾティック・フローラ」(1822年)の何枚かの絵を担当。この「御婦人方のための園芸書」(1834年)以外にも、ドレーク女史と共同で数冊の「ボタニカル・レジスター」(1833年〜1847年)や「ランの花冠」(1838年)などを手がけた。


コンラッド・ロディゲス
ドイツ人コンラッド・ロディゲス(17381年-1826年)は、18世紀末南ロンドンのハックニーで有名な植物培養施設を設立した。1780年頃から植物についてのカタログを出版する。これがThe Botanical Cabinet「植物学の博物館」(1817年-1827年)へと発展していった。美しく彩色された約2000点の図版は、彼の息子ジョージ(1784年-1846年)などにより描かれ版はジェージ・クックによるもの。全20巻の園芸誌。 彼の培養施設では、当時としては貴重まれで エキゾチックな植物(しゃくなげ、蘭、ツバキ)を扱いイングリッシュ・ガーデンへ と導入した。当時世界一大きな温室を作った。しゃくなげについては1803年にロ ディゲスは、サンクト・ペテルブルグの植物園から数種類の種を持ち帰り初めてイギリスで紹介した。私費で植物採集者を雇いエキゾチックな植物を採集する航海に出た。 1833年には、ガラス製の運搬用ケースを制作し船に積み植物の長期保存に成功した。これで当時長距離の運搬により90%は、死に絶えた植物も90%の生存率となった。1817年には、自ら培養した蘭の品種をグロキシニアと銘々した。1821年には、初めて蘭の商業的生産を始める。1832年には彼の銘々したサイクノシス・ロディゲッシをジョン・リンドレイに献上した。



『レディースフラワーガーデン』
ジェーン・ルードン夫人
1849年 ロンドン ウィリアム・オール社刊行
第二出版 90図 手彩色石版画入り

ジェーン・ルードン

ジョン・クラウディウス・ルードン
ジェーン・ウェッブ(1807年-1858年)は、父親の死を機に跡継ぎとして作家になりました。この仕事で生計を立てるまでになります。彼女の処女は、1828年に公表された「ミイラ」という22世紀に設定されたSF小説です。この本のついて「庭師の雑誌」の中で紹介されています。すぐに後に、ジェーンはこの雑誌の編集者であったジョン・クラウディウス・ルードン(1783年-1843年)を紹介されました。ジョンはこの時代の有名な造園家でした。ジェーンより24歳年上でした。二人は、出会いから1年以内に結婚しました。 ジェーンは夫の助手になり、彼が熱望し作成中の「園芸百科事典」(1834年)に伴いガーデニングと植物学に関してすべてを学習しました。ジョンは、36歳のジェーンと幼い娘アグネスを残し、1843年に死亡しました。彼女は、自活を余儀なくされ女性のためのガーデニング、植物学およびカントリー・レクリエーションに関しての多く本の著者になりました。1840年代を通して、ジェーンは「レディーズフラワーガーデン」全4巻本を刊行しました。この図鑑は、全巻にわたり多年生植物、球根植物および温室植物を紹介しています。このシリーズは、単純で短いテキストと大型のチャーミングな図譜付きです。図譜は、イギリスで人気なあらゆる庭花を紹介しています。版画家は無署名ですが、ジェーン・ルードンは、シリーズ中のすべての図譜を描いたと思われます。彼女の最も独創的で革新的な仕事は、鮮明で劇的な花束(ブーケ)に同系の花々を品種別にグループ化することでした。



『イルーストラシオン・オーティコール』ジョン・リンデン
ジョン・リンデン(1817-189年)は、ルクセンブルグに生まれ、若い頃から ベルギーに移住。10年間で全世界を旅しながら、山の頂上まで登り、珍しい蘭を次々と発見しました。1845年にブリュッセルに戻り、息子ルシアンと一緒に「ホーティクルテュール・インターナショナル」を作り、蘭の輸入業を始め、イギリスのサンダー社との競合となった。彼の業績により、ヨーロッパ中で蘭の人気が一番であった国が、イギリスから19世紀の終りごろにはベルギーへと移った。1100種もの蘭をもたらし、多くの蘭には彼の名前が付けられた。 蘭以外の花は600枚入で12冊の「イルーストラシオン・オーティコール」(1870-1891年)に集められました。



『英国とエキゾティックな地域のシダ類』エドワード・ジョセフ・ロー
エドワード・ジョセフ・ローは、「ブリティッシュ・アンド・エキゾティック・ファーンズ」 (全8巻、シダ類について479点の図譜を含む)、「アワ・ネイティブ・ファーンズ」 (全2巻)、そして「ビューティフル・リーブド・プランツ」 (「美しい葉の植物」1巻、 葉についての60点の図譜を含む)を1850年代から刊行しました。 英国では、当時シダ類の大ブームにのってウィリアム・フーカーや、ジョージ・サワビーなどによって数多くのシダ類の書が刊行されました。今日でも全世界でシダ類は、インテリアアイテムとして人気です。トロピカルなアジアテイストの癒しの空間をつくります。 図譜は、ベンジャミン・フォセットによる多色木版画に手彩色してあります。


 



ウィリアム・フレデリック・マーティン

『新博物学辞典』ウィリアム・フレデリック・マーティン著1785年ロンドン刊行 William Frederic Martyn (1758年-1837年) ウィリアム・フレデリック・マーティン(1758年-1837年)は、イギリスの作家、画家であり、教育者ウィリアム・フォーダイス・メーバーの匿名で活躍していました。彼は、地理学、植物学、博物学および旅行についての本を出版しましたが、100図の大規模な図譜数を掲載したを備えた「新博物辞典」1785年ロンドン刊行で有名です。辞書は、ABC順に並んでいて、鳥、魚などや同じページに巨大な昆虫や隣りに描かれた動物との対比が興味深い。博物学のグループの分け方も面白い並びになっている。


ピエランドレア・マッティオリ
ピエランドレア・マッティオリ(1501-77年) イタリア、シエナ生まれ。若年時代、父が医業に従事していたヴェネチアで過ごし医学を学ぶ。後にプラハのフェルディナンド大公、皇帝マクシミリアン二世の侍医として仕えた。76歳の時トレントでペストにかかり死亡。 マッティオリの最も有名な著書は、『ディオスジリデス注釈』です。1544年ヴェネチアで刊行されました。10年後には、イタリア版に続いてラテン語版が出た。562枚の木版の挿絵の中で500以上が植物図であった。その後、何度か再版が繰りかえされた名鑑です。図譜の多くは、乾燥標本を温水に浸して戻したものを描いています。 こちらで紹介しているものは、すべて1744年代のイタリア語再出版の挿絵です。初版では、小型の図譜を何点か掲載した植物画でしたが、再版されたこちらの図譜は、大型でより1点々が鮮明に描かれていて評価の高いものです。 コンフリー(木版)手彩色。



『花のガーランド』シャールル・マロ 1820年 パリ刊行
シャールル・マロは、寄贈書の著書を得意としたフランス人作家であり、詩人で翻訳者でした。1815年-1821年の間に、パリの出版社ルイス・ジャネットのために花、果物、蝶類などについての小型本を刊行しました。シリーズものでは、「花言葉」、「バラの歴史」、「フルーツ・バスケット」、「花のガーランド」、「蝶類」があります。それぞれの小型本は点刻彫銅版画に手彩色したパンクラース・ベッサの精巧な図譜が含まれています。女性のために刊行されたこれら一連の小型の本に加えて、さらに「ヨーロッパの首都」についての情報本や、「フランスの軍隊の戦場」についても書きました。 多色刷点刻銅版(手彩色補助)スティップル・エングレーヴィング



>『スリナム産昆虫変態の図譜』
マリア・シビラ・メーリアン
1705年 オランダ刊行 銅版画手彩色60図
フォリオサイズ 全1巻 60図 フォリオサイズ



『ボタニック・ガーデン』ベンジャミン・モーンド著
1825年-51年 ロンドン刊行 全13巻
銅版画手彩色312図 クオートサイズ
ベンジャミン・ モーンド氏により1830-50年代に出版された「ボタニック・ガーデン」や「ボタニスト」は当時の最高水準の図鑑と言われています。 「ボタニック・ガーデン」は312枚のプリントを13冊に、1825年から1851年 までロンドンで出版されました。中に描かれている作品は、特に女性の描く繊細さと色 使いが特徴的です。画家は、出版者の娘たちS.モーンドとE.モーンドの二人(名前は、明 らかになっていない)、リバプールの素人画家プリッシラ・スザン・ベリー夫人、1820-30年代の人気画家E.D.スミス氏、ミルズ氏によるものです。画家たちは、経済 的に余裕のある家庭でガーデニング愛好者でもあった為、当時のイギリスで実際栽培されていた装飾性が高く親しみ深い花と植物は、同じ様な境遇にあるガーデニング・ファンの 間で人気がありました。すべてに解説書が付いています。 「ボタニスト」は250図の図譜を5冊に、1836年から1842年までロンドンで出版されました。中に描かれている作品は、特に女性の描く繊細さと色使いが特徴的です。画家たちは、経済的に余裕のある家庭でガーデニング愛好者でもあった為、当時のイギリスで実際栽培されていた装飾性が高く親しみ深い花と植物は、同じ様な境遇にあるガーデニング・ファンの間で人気がありました。


『リンネ植物分類学大系図解』 ジョン・F・ミラー 1770-77年刊行 リンネの植物分類学は、このような図解を介し普及し19世紀にはほぼすべての植物図譜がリンネの方法によって整理された。 ジョン・F・ミラー(本名ヨハン・ミラー、イギリスに渡りジョンを名のる) ドイツの植物絵師。ニュールンベルグの著名な画家を父に生まれる。



『園芸家辞典』 フィリップ・ミラー1756年初版、1807年再出版 イギリスの園芸家フィリップ・ミラー(1691年-1771年)は、やはり園芸家である父の仕事を手伝ったのち、大英博物館の始祖ハンス・スローンに見いだされ、1722年チェルシー・ガーデンの管理者となった。この「園芸家辞典」は、イギリスの園芸ブームの火付け役となった。


『植物異聞』アブラハム・ムンティング著
1702年 オランダ刊行全2巻
銅版画手彩色245図 フォリオサイズ


 
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